羨ましい、他人のスペック(韻が踏めそう)
こんにちはー。
今日は、「他人のスペックに対する羨望」について思ったことを書こうかと思います。
「スペック」
人の身体的特徴、趣味、学歴、仕事などの階級を表す言葉。
はてなダイアリーから引用しました。
元々は「パソコンの仕様(どんなパーツで構成されているのか)」を指す用語だったらしいですね。
それがネットが普及するにつれ、転じて人の能力・地位などの程度も意味するようになったとか。
日常生活でも耳にすることあるし、ある程度実生活でも市民権を得つつあるんじゃないでしょうか。
具体的には「あいつスペック高いよなー」って、第三者のことについて話している文脈でよく聞くかな〜。
不思議なのは、「あいつはスペック低い」って、disりの側面でこの言葉を用いてる人を全然みかけないこと。
スペックという言葉自体に、ある程度価値を含ませた上で使ってるのかな〜とか思ったり。
閑話休題。
んで、よく他人をポジるときに使われる「スペック」ですが、そもそも何で他人のスペックを羨むのだろうかという疑問が湧きました。
特に「イケメン・美女」っていう、「美」のスペックに対する羨望。
テレビで数多の造形美を目の当たりにすると、ほんのたまにだけど、「嗚呼、、」と思うことがあります(笑)。
なら自分もイケメンになりたいかというと、そういうわけではないんですよね。そういうわけでは。
安易な一般化は避けたいところですが、イケメン・美女に憧れを持つ人って、羨むことこそすれ、別にそのスペックを求めているようには見えないんですよね。
僕は、「羨望」って、「自分もそれを欲しい!」っていう欲望から生まれる行為だと思うんです。
つまり、、イケメン・美女を羨む人達は、彼ら彼女が持つ「美のスペック」それ自体に
羨望の眼差しを向けているわけではないんじゃないでしょうか。
じゃあ、一体何を羨んでいるのか。
パッと思いついたことは、そのスペックによってもたらされる富と名声、これを羨んでるんじゃないかなあと。
まあそうだと思います。でもあまりにも単純すぎる。「富と名声」が目に見えるものだとしたら、目に見えないものに対しても羨望しているんじゃないか。
そんなこんな考えているうちに、1つ浮かんだことがありました。
「イケメンや美女って、イケメン・美女を羨むとかあんましないやろな」
めちゃめちゃ当たり前といえば当たり前ですが、ここからピンときました。
「あ、イケメン・美女はそれこそ「美のスペック」についてあれこれ考える手間が省けるんだし、だから皆羨むのか〜ふむふむ解決や〜腹減った〜」
自己満を補足。
要するに、「美のスペック」を持つ人は、それに対してあれこれ考える手間がだいぶ省ける。”無意識”でいられるんです。
人は、イケメン・美女のこうした「美のスペック」に対して無意識でいられるという、その精神的余裕を羨ましがるんじゃないかなあと思います。
「もう少し背が高ければなあ・・」「鼻筋が通ってないなあ・・」
このような、美のスペックに対する意識を持つ必要がないんです、イケメン・美女は。
チクショウめ!!!
でも、意識を「持たなくていい」ことに対して羨望するって、結構おもしろいなあと思いました。
「無意識を欲望する」って、少し不気味な文章ですわ、、。
今回はトピック絞って考えましたが、これをもう少し広げたらおもしろそう。
まあひとまずここら辺でお開き。
いくつかトピックはストックしているので、頭が冴えているときにどんどん投稿していきますね〜。
あ、あと余談ですが、適度な運動したら頭めちゃめちゃスッキリしてビビリました。
恐らくこの「適度な」という点が重要。
それこそさっき、30分程度軽くジョギングしたんですが、シャワー浴びるころには汗と一緒に頭のモヤモヤも洗い流されました!
その勢いのままに書いたのが今回の記事です!(記事がスッキリしているかどうかはおいといて)
暫くはこのルーティン試してみようかと思います。
ではでは、さいならっきょ〜