「二項対立」で留まるナカレ
こんにちはー。
「オモローな記事」書くと前回予告しました!
しかし、今回もまあまあ「ガチ」な内容となる感じです!!
なので、冒頭部分だけでもテンションあげていこうということで、!←多用しています!!!!
!!!!!
はい、というわけで(笑)今回もまた、ややマジメ~な感じのこと書いていこうと思います。
前回、「日本人」という言葉に対するとらえ方を拡張すべきだ、と述べました。
それを考える中で、思うことがありました。
それは「二項対立の危うさ」と「知識のリンク」です。
前回に引き続き、「安保法案(「戦争法案」ではありません)」に関連付けて述べていこうと思います。
まず、「二項対立の危うさ」について。
僕がこれほどまで「戦争法案」という表現を避けている理由の説明から始めようかと思います。
今回強行採決された「安保法案」。それを反対する人々が口々に発していた「戦争反対!」。
言葉尻を捉えすぎている印象はぬぐえませんが、この主張を聞くと、どうしても「戦争賛成か反対か」という、いわゆる「二項対立」で今回の法案を捉える人々がでてしまうのではないでしょうか。
まず言いたいのは、別に賛成派は戦争に賛成であるわけではないということです。当然すぎますが、ここを勘違いしている人が多いように思われます。
だって、誰も戦争なんてしたくないじゃないですか。戦争で利益を得るのはごく一部の国、言ってしまえば戦争を常にリードする超先進国だけです。(例えば、日本の「お友達」とか。)
つまり、この法案は「戦争”抑止”法案」だということです。「集団的自衛権」を行使し、国際的連携を強めることで、中国などの脅威を牽制して日本が戦うリスクを軽減するための法案なのです。
「二項対立」って学校の国語の授業で習った方、多いんじゃないでしょうか。
この枠組みって、結構便利ですよね。「白と黒」「男性と女性」というように、物事を大きく2つに区別することで、より考えを整理できるのが特徴だと思います。
しかし、これは、分かりやすいが故に、浅い議論に収まってしまうリスクも抱えた概念です。
だって、現実で起きている物事は、必ずしもこのように明確に区別がつくわけではないからです。要するに「グレーゾン」が存在するのです。
確かに、物事を2つに分類して、状況を整理するのは大切です。
しかし、二項対立を整えたので満足するのではなく、その二項を比較検討するという取り組みがさらに重要だと思います。
そうすることで、二項対立の中に隠れていた新たな論点を導きだすことができるのです。
今回のケースでいうならば、「賛成派vs反対派」という二項対立レベルではなく、それぞれの主張を踏まえて、さらに深い議論を展開していくのが重要だということです。
僕なりに導きだした論点は、「集団的自衛権行使の”具体的ケース”」です。
ひとまず集団的自衛権の”基準”については政府が設けています。「後方支援」です。どのような形で支援するのかについても、ある程度述べています。
しかし、その「後方支援」が一体どのようなケースで行使されるのかという、現場に即した見解を、政府は未だ示しきれていないように思われるのです。
なぜ反対派が終始「戦争反対」を唱えているのか考えた結果、政府が集団的自衛権を行使する”ケース”を明言していないからではないかと考えました。
そして賛成派も、集団的自衛権の重要性については述べていますが、それがどのような場合に行使されるかはイマイチ捉えきれていない印象を受けました。
「集団的自衛権」が実際の現場でどのように行使されるのかという具体的事例を安倍政権はまだ挙げていません。
このことがマスコミに「説明責任が果たせてない」といわれる大きな所以でしょう。
なので、強行採決に踏み切った今、次に取り組むべき議論はこの「集団的自衛権行使の”具体的ケース”」だと思います。
さすがにこれについて未だに議論が進んでいないなんてことはないでしょうが、それならそれで、ある程度議論がまとまった段階で、国民に事例をどんどん伝えていくべきだと思います。
この「説明責任」を政府が果たせば、それは「賛成VS反対」でガチガチに固まっている状況を打破する一助となりえるはずです。
二項対立を比較検討して、さらに高次な議論を展開する。これはヘーゲルの唱えた「弁証法」そのものですが、今回の安保法案の議論を捉える過程で、ようやくこの考えの重要性について、自分の中に落とし込めたような気がします。
長くなったので、「知識のリンク」については次回述べたいと思いますー。
次回は、最後にまあまあオモローなこと書こうと企んでおりますので、よろしゅうです!!!
さいならっきょ。