仕事に「ハマる」ことの落とし穴
こんちは。
今日は仕事に「ハマる」ことによって生じうる危険性についてカタカタ。
「仕事」と言っても、別に社会人に限ったことではないです。受験生なら「受験勉強」だし、大学生なら「レポート」などに置き換えて考えられるでしょう。
「ハマる」とは要するに「没頭する」ということです。
ぼっ‐とう【没頭】
一つの事に熱中して他を顧みないこと。(「goo 国語辞典」より)
一応辞書を引いてみましたが、このように時間を忘れて一つのことに集中することが「ハマる」の意味です。
では、仕事に熱中することに、どういった危険性が潜んでいるのでしょうか?
熱中できるということは、それだけ仕事が「楽しい」と思えている証拠でしょうし、普通に考えればむしろいいことのように思えるかもしれません。
ただ、もう少し「仕事」について考える必要があります。
何のために「仕事」をするのか。
一般的に、何か達成すべき目標があり、そこにたどり着くための手段として僕たちは「仕事」をすると言えるでしょう。
受験生なら、「大学合格」という目標のために「受験勉強」をします。
大学生なら、「単位」という目標のために、「レポート」を書きます。
(そうでない大学生の皆さん、すみません、、、。)
ここからも、「仕事」それ自体は目的ではなく、何かを達成するための手段にすぎないことが分かるかと思います。
それを踏まえた上で、「仕事にハマる」ことの危険性について説明していきます。
「仕事にハマる」ことの危険性は、「目的と手段の履き違え」にあります。
要するに、単なる手段である仕事に没頭する内に、いつしか仕事をすることそれ自体が目的であるかのように勘違いしてしまう恐れがあるということです。
端的に述べると「仕事の自己目的化」と言えるでしょう。
この「仕事の自己目的化」によって、本来の目的の達成に悪影響が及ぼされてしまう可能性が生じる。
これが仕事に「ハマる」ことの危険性です。
塾講師を例に、この「仕事の自己目的化」について具体的に考えてみます。
(実際に塾講師のアルバイトをしている自分の経験を踏まえて以下、書いています。)
塾講師における仕事は「授業」ですが、その目的は「生徒に勉強を分かりやすく伝える」ことです。
その目的に向かって、塾講師は授業準備を進めていきます。
その際「わかりやすさ」を追求しようと、自前のプリントを作成するとします。
この授業プリントはあくまでも手段であって目的ではありません。
しかし、こうした作業は往々にしてハマりやすい。文字の大きさ、フォント、全体のレイアウト、、。
試行錯誤を重ねてプリントを作ることが楽しくなっていく。
しかし、もしプリント作成にのめり込んでいくとどうなるか。作っていくうちに本来の目的が霞んでいき、いつしか"凝ったプリントを作る"ことが目的になってしまいます。
こうして作られた授業プリントは、途中から生徒に分かりやすく勉強を教えるために作られたものではなくなっています。
従って、実際に生徒の授業理解が進むないようになっているかどうかは疑わしいものになっているでしょう。
そのようなプリントは、むしろ目的達成を阻害するものだと言えるでしょう。
このように、仕事に対して必要以上に「ハマる」ことは少々危険だと言えます。
それは本来の目的ではなく、目の前の仕事こそが目的だと捉えてしまう、視野狭窄につながりかねます。
そうした状況を回避するには、とにかく「自分は何のためにこの仕事をしているのか」
ということを定期的に自問自答することが重要だと思います。
仕事を通して達成したい目標を念頭に置き、それを適宜確認する。
そうすることで、、目標達成の手段として一つ一つの仕事を淡々とこなしていく、といった姿勢をとれるのではないでしょうか。
別に自己目的に向かう活動が総じて悪いわけではないです。
例えば趣味活動。
「音楽聴きたいから聴く」し、「カフェ巡りたいから巡る」わけですし、「やりたいからやる」のが趣味活動だと言えるでしょう。
僕はラップが好きで、たまに自宅でラップの練習したりしますが、「ラッパーになるためにラップしてる」とかではないですからね笑。
単純に好きで、「ラップがやりたい」からラップをしているだけです。
趣味活動はどこまでも自己目的突っ走ればいいと思います。
ただ、目標達成の手段である「仕事」をそうした趣味活動のように取り組んでしまうと、本来の目的がないがしろにされる恐れがあります。
「仕事にはまっている」「仕事が楽しい」けど目標が達成されない。
それならいっそ、仕事に過度な思い入れをしない。一喜一憂しない。
そして淡々とこなしていけば良いです。
僕は仕事が楽しいことより、仕事の成果を出せることを目標に据えたいです。(自戒)
さいならっきょ。