「充実」=「多忙」?
ちわ。
来週から専修別ガイダンス開催、履修登録開始など今一気に現実(=大学)に引き戻されつつある。
この春休み振り返ってみてまず思うのは
「疲れた」
この春休みは、人生で初めて(恐らく)主体的にタイトなスケジュールを組んだ。
というのも、高校までは部活三昧だったし、浪人は勉強三昧だった。
というわけで休みは今までもタイトではあったけど、比較的決められたスケジュールを過ごしていた印象があるからだ。
それが大学生活がスタートしてから一転した。
夏休み、冬休み共に始めから定まっている予定はほぼ皆無。
入学するまであれほど求めていた「自由」を手にした途端、どう扱えばよいのか見当つかないというなんとも贅沢な悩みが生まれた。
テレビとかゲームとかいくらでも暇つぶす手段は転がってたんだろうけど、
「大学入ったらそういったものとはおさらばだ!」
っていう変な意地張ったことでその悩みは一向に解決されることなく...
(その時間をSNSにあてているんだけど...)
結局夏休みも冬休みも2,3週間程度帰省して、特に目的意識も持たずに漫然と時を過ごしていた。
本を読む,ということだけは意識していたけど、それでも最後まで読み切った本は片手で数えられる程度。
そうこうしている内に、後期の期末テストが終わり、春休みを迎えることに。
春休み入る前から旅行やバイトなど、ある程度予定ができてはいたが、生活に大胆な変革を求めていたので、思い切って詰め詰めのスケジュールにすることにした。
バイト、講義、サークル、旅行、飲み会、バイト、講義、サークル、旅行、飲み会、バイト、、、、、、、、。
2月中旬から3月末までこの調子で最後まで突っ走った。
今スケジュール帳を見返したが、完全予定0の日は2日だけだった。
スケジュール帳だけを見たらなんとも「充実」した春休みだったような気がする。
でも自分の中で抱く気持ちは
「充実した」よりも「疲れた」
こんなこと言うと「気持ちの持ちようでしょ」っていわれるかもしれないけど、今回はどうもそれとは違う気がする。
ならなんでそう思うのか説明しろと言われても、はっきりと答えられそうにない。
でも一つだけ言えるのは、イベントを自己点検する時間が明らかに足りなかったということ。
つまり自分のやった行為を自分で振り返り、反省する時間を全然設けられなかった。これが充実感より疲労感を抱いた理由の一つだと思う。
例えばインターバル(休養日)なしでスポーツを続けるとしよう。
疲労はどんどん蓄積され、その上自分のパフォーマンスを反省する時間も充分にないままどんどん先に進んでいくので、とても非効率といえる。
同様に、暇(休暇)なしで予定を詰めても、疲労は溜まるのは当然のこと、何より自分が消化したイベントを振り返る時間を充分にとれないまま、また次のイベントがやってくる。
そのため予定を上手く回すというより、こなすことに精一杯になってしまう。
記憶っていうのは、時が経つに連れて薄れていくし、何より美化されがちだ。
だからこそ、まだそれが鮮明なうちに内省し、次の行動に繋げる必要がある。
それを積み重ねていくことで、自分が何をしたら本当に「楽しい」と思えるのか分かってくるだろうし、それを分かることが「充実」なんじゃないかなぁと。
春休みはこうした作業が全然足りなかった。
2回からは専修に移って、1回より忙しくなるだろう。
だからこそ休養、そして自己反省するための暇をしっかり設けることを意識して日々過ごしていきませふ。
さいならっきょ